台風15号が沖縄付近で停滞し、そして一気に日本列島へ向かってきた。
西から東へ、また東北へ もう日本はズタズタになってしまった。
早く復興して欲しい、心から祈らずにおられない。
さて、此処で一冊の本が目に止まった。
精霊流し さだまさし。
涙あり、笑いあり、喜び、悲しみが自分の人生を振り返らせて くれます。
さだまさしさんの 名曲はヴァイオリンで始まる名曲は素晴らしい。
そして、小説は読んでいるほどに引き込まれる。
人は悲しみを背負い、それでも静かに笑っている。
人生を懸命に生き抜いた、もう返らない人々・・・・・・・・。
舞台は長崎で子供の頃、母親はヴァイオリンを習わせた。
小学1年生になった昭和三十四年の夏に、母親と共に上京した。
名ヴァイオリン教師の、鷲尾勇三郎のレッスンを受ける為だ。
そして大学受験を受ける時期を迎えた。
雅彦は、母喜代子との約束を破り国学院大学へ進学した。
「音大へ行くと言う約束ば 一方的に破ったとは俺(おい)やけん、学費以外は
自活するけん」。
そう言って親の援助を受けずに、アルバイトで生計を立てていた。
それから、雅彦はデビューした。
雅彦は京都市内のホテルで節子(母の姉)の訃報を聞いた。
ソロデビューした翌年だった。
長崎では初盆の時に精霊船を出す。それを男衆が担いで海へ流す。
此れが精霊流しです。
カンカーン、コンコーン 「ドーイドイ!」
バリバリバリバリーンと、足元で一斉に爆竹がたかれる。
長崎の子供達は、爆竹の音に驚かない。
1945年8月6日 午前八時15分 広島に原子爆弾が投下された。
「リトルボーイ」は投下後1分程で580mの高度に達した。
後に原爆ドームと呼ばれる建物の真上で炸裂した。
太陽が2つになり、一瞬にして20万人近くが焼かれた。
この原子爆弾は驚異的な破壊力を持っていた。
それは科学者達の予想以上だったか、以下か少なくとも極東の黄色い魔物
の息の根を止めた。
2つ目の原子爆弾はの投下は、1945年8月9日11時01分 長崎に投下された。
岡本登美子(祖母)は、親友の伊藤はつを探して電気室への階段を駆け下りていた。
市内浜松町の上空700m付近で爆発した。
一瞬にして爆風は浦上地区のありとあらゆる物を破壊し、燃やし尽くした。
登美子は真っ暗闇の地下室で気を失っていた。
階段を駆け上がると、そこにあったはずの工場の建物が、すっかり無くなっていた。
とにかく死体だらけだった。
殆どが黒焦げになったもので。そう思って見なければ、人間には見えない遺体も多かった。
登美子は泣き叫びたいのを必死にこらえて、歩いた。
「水をくれー」と言う うめき声で一杯だった。
肌がめくれ上った、性別のわからない人が登美子に泣きながら
「助けてー」と言った・・・・・・・・・。
実二郎(父の友人)と友人は、伝馬船で魚釣りをしていた。
「あ、パラシュートばい」
「おっ、黄色(きんな)か」
「なんやろう?」
「なんやろう。拾いに行かんば・・・・・」
実二郎が伝馬船で釣り糸垂れたその時、背後の方で何かがピカッと
光った。
実二郎はその瞬間(焼夷弾=焼け死ぬ)と言う恐怖感から、とっさに
海の中へ飛び込んだ。
息の続く限り潜り、苦しくなって顔を出してから、ビックリした。
暗闇だったのだ。まだ昼前だったはずの空が、真夜中のように真っ暗だった。
ようやく空が元に戻ったので、陸に這い上った。
今度は腰が抜けそうになった。
一切合切町ごと何も無くなっていた。
実二郎は浦上の方まで、すっかり何も無くなっているのに気づき
ふと、大好きな父ちゃんを思った。
「父ちゃん!」・・・・・・・・。
「原爆のあの悲しさとおわい船。 雅彦さん人間て哀しかねえ」。
昭和20年8月15日丁度終戦の日たい。
世間じゃあその日は終戦記念日て言う。
ばってん、長崎は精霊流しの日やろう。
昭和20年の8月15日て言うたら、あの原爆の落ちて1週間もたたん。
「あのね、その日に精霊船の出たばい。
読むほどに哀しく、また原子爆弾を作り投下し、罪も無い一般市民を地獄に
送るとは「怒り」・・・・・・・人間の値打ちも無い。輪廻転生次は人間には
生まれてこないだろう。
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